カリココ クリスマス【Kidsマルシェ】レポート

展示会

今回開催された「カリココ クリスマス【Kidsマルシェ」会場に足を踏み入れて、まず目に入ったのは、こどもたちのきらきらした表情でした。

難しい説明を聞いている様子はなく、目の前の体験に自然と引き寄せられ、「これ、なに?」「どうなってるの?」そんな声があちこちから聞こえてきます。

技術イベントでありながら、そこにあったのは“学ばせる空気”ではなく、“感じ取っていく時間”でした。

技術を説明しない、という選択

先端研企画室/清原の話によると

今回のイベントで特に意識していたのは、技術を説明しすぎないことだったといいます。ロボットが何かを解決する姿を見せるのではなく、参加者の心に、反射のように何かが入ってくること。頭で理解する前に、感覚として残ること。それが、今回の体験設計の軸でした。

説明をすれば分かった気になります。けれど、それでは考える余白が残らない。正解を与えるのではなく、「なぜだろう?」という小さな引っかかりを残すことを大切にしていたそうです。

考えさせるのではなく、考えたくなる

会場では、答えを示す場面はほとんどありませんでした。それでもこどもたちは、立ち止まり、眺め、触れ、何度も戻ってきて体験していました。

”反応はいいか?”清原が見ていたのは、人の評価ではなく、そうした反応そのもの。情報が反射的に入ってくること。説明されなくても、感覚として残ること。それが、未来につながる入り口になると考えています。

スマートシティは、暮らしの延長線にある

スマートシティという言葉は、効率や最適化を連想しがちです。けれど、この場で感じられたのは、数字や機能よりも、暮らしの感覚でした。

気づいたら使っている。自然に生活の中にある。主役は技術ではなく、人。ロボットやAIも、社会から切り離された存在ではなく、
人のそばに静かに寄り添う存在として描かれていました。

こどもたちのきらきらが、未来を映していた

イベントを通して印象的だったのは、こどもたちの反応でした。

あるお子さんはJulieに風船をつけて浮かせようとしたり、またあるお子さんは緊張でずっとJulieの方を見ながら接客していたり。まさに良き相棒となっていました。

それは、自然に溶け込んでいる様子を映し出していて、ロボットが「未来の話」ではなく、
日常の延長線上にある存在として立ち現れていた時間でした。

おわりに

今回の未来の技術を説明する場ではなく、未来の感覚を共有する場でした。ロボットが解決するのではなく、人の心に反射のように残るもの。みなさんからは「理解した」ではなく、「何かを受け取った」という反応だったように思います。

その感覚を、これからの社会を生きていくこどもたちに、そして、その成長を見守る大人たちにも、感じてもらえる時間だったように思います。社会に溶け込むということを、言葉ではなく、光景として共有する時間だったように思います。

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